桶狭間の戦いとは

15650年6月12日
25000人の兵士を率いて進行した今川義元。
彼は尾張地方を我が物にしようと駿河から攻めてきた戦国大名です。
それに対し、尾張の権力を持っていた織田信長が迎え撃ちます。
今川軍の25000兵に対し、織田軍は2000兵~3000兵。数では圧倒的に劣勢な戦いでしたが、見事、織田軍は今川義元の首を取り勝利したとされています。
その戦場となったのが桶狭間という場所でした。

現在の桶狭間の場所

愛知県名古屋市緑区に桶狭間古戦場公園があります。

 

桶狭間古戦場

さらに愛知県豊明市にも桶狭間の戦いの石碑があります。

それから察するに、熱田神宮から少し東~豊明市の間が桶狭間の戦いで戦場になった場所だと考えられます。

桶狭間の戦いで織田信長が勝った理由

圧倒的な数的劣勢をものともせず、勝利した織田信長ですが、なぜ織田信長はこの桶狭間の戦いで勝つことができたのか。
当時、今川の元にいた徳川家康は、大高城に大量の兵量を送り込んでいました。
今川の軍は大高城に向かう事が織田信長には分かっていました。
大高城に向かうにはどうしても通らないといけない道があり、その道は狭間といわれる細い窪地でした。
窪地に今川軍が差し掛かった時に、奇襲をかける。それが織田信長が勝てるポイントでした。
しかし、信長がすごかったのはそこからです。ただ奇襲をかけるだけでは勝率も高くはありませんでした。
そこで仕掛けたのは「農民おもてなし作戦!!」
そのおもてなし作戦、今川軍が狭間といわれる細い窪地に差し掛かった時に、農民がお酒やお餅を持って現れたのです。
長距離を移動して疲労した兵を休ませるために、今川軍はそこで昼飯を取ることにしました。
しかし、この農民は信長のスパイだったのです。
ここで足止めに成功した信長軍は一気に今川義元だけ狙って攻めました
約25000の兵も上手く機能することなく、今川の周りを守るのは約6000兵ほど。
さらに直接今川を守ることができるのは約300兵くらいだった所から、逃げるしかなくなった今川義元。
追いついた織田信長の将が今川の首を取ったそうです。